System Macros

電脳パンツの偉いところは、己の限界を心得ていたことであった。さればマクロをシステムワイドに用意したのである。しかもキーボードマクロではあるがその定義を文字で表現して編集できるようにしてあった。バイナリーデータでユーザーの手から引き離すという卑怯な手は使わなかったのだ(表面上はね)。 マクロというものは、やたらと高性能であればよいというようなものではない。ユーザーが敬遠しないこと、これが最も大切だ。マクロを使えば生産性は間違いなく向上する。しかしユーザーに見放されたマクロ機能は、ないも同然だ。むしろ危険とさえ言えるだろう。そこでマクロはユーザーにほどほどの緊張感を与えつつ取り組みやすい姿をしていなければならない。そしてマクロの能力に限界はあってよい。むやみな高機能はC++なぞによるプロの仕事にしておけばよいのだ。

さて、GUIの時代が到来して以降、マクロは迫害の歴史を歩んできた。

※CUIの時代にマクロはあったのか?——マクロの本質は入力の削減にある。たいていの機械にはファンクションキーというものがあって(今でもあるけど)、どんなOSであれ(BASICインタプリタでさえも)素朴なマクロを用意することはできたものだ。そこでファンクションキー定義が最も原始的なマクロと言える。ちなみにKINESIS社のキーボードは一部を除いてキーボードマクロとリマップの機能を持つ。どのOSであれキーボードマクロが使えるのは絶叫するほどすばらしい。

Symbian OSにおいても残念ながらマクロはマイナーな存在であり、忘れられた文明である。忘れられた、というのは他でもない、太古のEpoc32ではそれが存在したからだ。そこでSymbian S80機ではマクロを含めたルネッサンスがすでに起きていたらしい。このへんにその話がある。

……というわけで今のところ書くことがないのだ。ごめん。

そういえばSystem MacrosよりもEXKEYの方が大活躍していたような……